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プロフィール

本名はクロード・ボリロン。1946年9月30日にフランスのヴィシーで誕生し、幼少期をアンベールで過ごしました。

9歳の頃、偶然にもツール・ド・フランスの自動車レースの通過を見てからは、将来カーレーサーになりたいという夢を持ち続けます。しかし、14歳の時に入れられた寄宿学校で出会った一人の生徒との運命的な出会いが、その後の人生の10年に大きな影響を与えます。

 

ギターの弾き方を教えてもらい、自分で作った歌を生徒たちの前で歌ったり、夏季休暇中にいくつかのラジオコンクールに出場しては、何度も優勝するなど芸術家としての才能が開花し始めます。

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希望に満ち溢れたパリでの音楽活動

15歳の時に自分の人生を生きたい衝動に駆られ、わずかな所持金とギターを片手に寄宿学校を飛び出します。

18歳で運転免許を取得し、カーレーサーになるための貯蓄をするためパリに向かいます。パリでの3年間でストリート・ミュージシャンとして腕を上げたラエル氏はその後、シンガーソングライターとしてラジオやクラブのステージを中心に活動するようになり、運転免許を取得する貯金もこの頃にはたまってきました。

レパートリー数は既に150曲を超え、クロード・セレという名前で1966~1971年の間に5枚のレコードを発表します。

22才の頃、観戦のため頻繁にレース場へ足を運んでいた時、カーレーサーになりたがっている若者たちのレースへの熱狂ぶりに気が付いたラエル氏は、スポーツカー雑誌の記者になって出版業界に身を置くことを決心します。

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ジャーナリスト & カーレーサーとして活躍

カーレースの出版界で働くことを決心したラエル氏は、クレルモン・フェランに引っ越し、自ら出版社を設立しました。

自らジャーナリストとして人気コーナーの記事を担当したその出版雑誌は、発行部数を急速に伸ばし、短期間で業界トップクラスにまで成長します。それからまもなくしてカーレースに出場する夢が実現し、当初から数々のレースで優勝を果たして、自身の新たな才能に目覚めます。こうしてラエル氏は、自身の好きなカーレースの分野で喜びを味わいながら3年間を満喫します。

※ ラエル氏は、4度のF1ドライバーズチャンピオンに輝いたアラン・プロスト氏が卒業したことでも知られるシェル・ドライバーズスクールを、1970年に首席で卒業しています。

 

※ カーレーサーとしてのラエル氏の功績

1994年5月22日 鈴鹿ジャパン/20年ぶりにレース復帰し6位に入賞

1997年5月25日 デイトナ24時間/ポール・ニューマンに次いで3位で完走

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